眠れない夜には羊を数える。 羊が一匹、羊が二匹…。 目を閉じて、羊が柵を飛び越えていくのをひたすら数えていく。 弧を描きながら華麗に飛び越えて行く羊たち。
でも、そのうちの一匹が柵に足を取られて転ぶと、後から来た羊たちも同じように転んでその上に乗っかっていく。 そうこうしているうちに頭の中にはもこもことした白い羊の山が出来上がる。
一と一緒におやすみ
「うーん…、余計眠れなくなっちゃったわね…」
悠里はぽつりと呟くと、閉じていた目を開ける。 枕元に置いてある時計を見れば、羊を数え始めた時からさして時計の針は進んでいなかった。
「困ったなぁ…」
眠ろうとすればするほど目は覚めてしまって、寝返りを打ってみたり最終手段で『羊を数える』事までしたのに
眠気は全く訪れてはくれない。 そうこうしている間にも、着実に時計の針は進む。
「眠れないのか?悠里さん」
そう声を掛けられ、リビングのドアの方を見やれば起きぬけの一がけだるそうに立っていた。 先程まで一緒に寝ていたはずの悠里がおらず、探させてしまったのだろう。
「一君!…そうなのなんか目が冴えちゃって、一君まで起こしてごめんね」
申し訳なさそうに謝るとゆっくりと近づいてきた一が、気にするなよ、と大きな手が悠里の頭をゆっくりと撫でる。
「もう…私の方が年上なのに…」 「かーわいーの、悠里さん」
恐らく、本人は何の気なしに思ったことを口にする。
顔面に熱が集まるのを自覚し、反論を、と口を開きかけ、これ以上何か言うと余計に墓穴を掘りそうで反論できるわけがなく、
悠里に出来ることといったら近くなった距離を開くこと。 あせって押し返したら、指が最後に毛先から離れて、間に残った指の向こうの目が細まって、してやったりって顔で笑われた。
「じゃあ、眠れない悠里さんに俺がとっておきの魔法をかけてやるよ」
ソファで待ってろよ、と言い残して一がキッチンへと消えていく。
一を見送りながら、悠里はお気に入りのクッションを抱きかかえた。
夕食のあと、どうにも疲れた気がして早々にベッドに入った夜。
すぐに眠りに落ちるかと思っていたのに、なぜかなかなか寝付けなくてベッドを出た。
クッションをぎゅっと抱きしめため息をひとつつき、どうして眠れなかったのだろうと考えてみる。
こうして目を閉じていると眠れそうな気がしてくるけど、これでベッドに戻ったとしても、やっぱり眠れないだろう。
「はい、どーぞ」 「ありがとう」
ぼんやりとそんな事を考えていた悠里の前に、一は満面の笑顔でカップ差し出しそのまま隣に座る。
手渡されたものは、悠里専用のカップ。以前、一緒に使おう?と悠里がぺアカップを購入してきたお気に入りだ。
両手で受け取ると、それはほわほわと湯気をあげ甘い香りが漂う。 眠くなるような、甘い、柔らかい香り。
「ホットミルク。それを飲むとよく眠れるぜ?」 「でも…」 「あ、大丈夫。砂糖は入れてねーから、騙されたと思って飲んでみろって?眠れない夜の魔法の薬」
気遣ってくれる一の優しさが嬉しくて、もう一度ありがとう、とお礼を言って一口すする。
猫舌でも大丈夫な温度で、ミルクの甘さと温かさが身体中にしみていく。
「………ん、甘くて美味しい」
砂糖の代わりにはちみつが入っているらしく、まろやかな味わいが悠里の心をほっとさせていく。
「このまま布団に入れば眠れそうな気がするわ。ありがとう、一君」 「それは良かった。俺も目ぇ覚めちゃったし、貰ってもいいか?」 「もちろん」
手のひらを暖めていたカップを渡し、飲むのかと思った次の瞬間。
ごく自然な仕草で身を屈めてきた一に唇を塞がれる。
「よ、」
驚いて身体を引こうとするも、いつのまにか後頭部に回された手で逃げられないように固定され
潜り込んできた咥内を蹂躙される。舌に残る甘さを全部奪い尽くすように。
「……ちょっと甘くし過ぎたか?」
濡れた唇を親指で拭いつつ、離れるなりしれっとそんな事を言う一を悠里はじろりと睨む。
「………一君、甘いの苦手なんじゃなかった?」
肩で息を吐きつつ、皮肉を込めて問いかけると、青い瞳がふいに細められる。
「――――俺、悠里の甘さは好きだぜ?」 「なっ…!?」
不敵に、かつ艶を帯びた低い声で囁かれたのは、ストレートな殺し文句。
顔にどんどん熱が集まり、胸を押さえたいくらい心臓が激しく脈を打つ。
喉の奥で笑いを噛み殺した一の瞳が煌き、抵抗する間もなく再度唇をふさがれた。
折角眠れそうだったのに…。
End.
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